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K165 エゼキエル書・ダニエル書・ホセア書・ヨエル書・アモス書・オバデヤ書・ヨナ書・ミカ書・ナホム書・ハバクク書・ゼパニヤ書

K165 エゼキエル書・ダニエル書・ホセア書・ヨエル書・アモス書・オバデヤ書・ヨナ書・ミカ書・ナホム書・ハバクク書・ゼパニヤ書

通常価格 ¥15,000 JPY
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エゼキエル書

   エゼキエル書は、イスラエルと周辺の国々双方に裁きを宣告しますが、この書は他の旧約と新約の書の啓示を補い足す「未来の千年王国」の啓示も提供しています。この書は神の民の復活と回復の、息をのむような描写を提供しているだけではなく(エゼキエル37章)、ご自身の御住まいに神の栄光が戻ることも含む、エルサレムの再建された神殿の描写も読者に提供しています(エゼキエル40:1~48:35)。

 

ダニエル書

   ダニエル書は(多くの書は裁きを予告し、またいくつかのものは裁きを振り返っているが)裁きの期間の間に、そして異国において繰り広げられる数少ない聖書の中の書の一つです。異教文化の偶像礼拝とダニエルの忠実な純潔との対比の中であろうが、傲慢なネブカデネザルと彼がへりくだる要因となった神との出会いの記述の中であろうが、ダニエル書での異教的背景は聖書の中でも燦然と輝く、壮大で荘厳な方法で主の力と威光を輝かせています。

 

ホセア書

   他のどの預言者よりも、ホセアはそのメッセージを自身の個人的人生と密接につなげました。彼の信頼をやがては裏切ると知っていた女性と結婚することによって、また自分の子供たちにイスラエルに対する裁きのメッセージを送る名前を付けることによって、ホセアの預言の言葉はその家族の人生から流れ出ました。ホセアの預言において、また彼の結婚(ホセア1:2、3:1~3)にさえも見受けられる悔い改め、贖い、回復のサイクルは、私たちの人生にも密接に結びついています。

 

ヨエル書

   聖書の正典に対するヨエル書の重要性は、しばしば言及されている聖書的概念である「主の日」を発展させた、最初の書であるところから来ます。オバデヤ書が、このかくも恐ろしい出来事を最初に言及した書とはいえ(オバデヤ15章)、ヨエル書は聖書全体を通しても、「主の日」に関する最も具体的で息を飲むような記事のいくつか、暗やみで覆われた日々、焼き尽くす火の炎のように攻め上る軍勢、また月が血に変わる情景等を詳細に記しています。

 

アモス書

   アモスはへきえきしていました。預言者たちのほとんどが、イスラエルやユダに対するその預言で「贖い」や「回復」を差し込み散りばめた一方で、アモスはそのような慰めを、彼の預言の最後の5節だけに当てました。それ以前は、アモスによる神のことばは、その隣人に対して全く愛を示さず、他者を利用し、また自分たちの利害や関心事だけに目を向けた、特権的身分に預かったイスラエルの民に対して向けられたのでした。

 

オバデヤ書

   この書の大半は異国エドムに対する裁きを宣告しており、それゆえにオバデヤを、主として他の国々に対して裁きを宣告したわずか三人の預言者のうちの一人にしています(その他の二人はナホムとハバククである)。他のそれらの預言の書がエドムや他の国々に対する裁きのくだりを含むのに対し、オバデヤの単一的な焦点は、人類の神との関係に関する重要な、しかし厳しい真理、人々が神の民から離れてしまうなら、もしくは神の民に逆らう立場に自らを置くなら、彼らはその生涯を終える時に回復よりも、むしろ裁きを期待できるという真理にその焦点を差し向けています。

 

ヨナ書

   ヨナは、イエスがその地上でのミニストリーの間に名指しで言及された、わずか四人の「執筆する」預言者たちのうちの一人でした(その他の三人はイザヤ、ダニエルとゼカリヤである)。しかし、ヨナは単なる言及以上の扱いを受けたのでした。イエスは、大魚の腹の中でのこの預言者の三日間の逗留と、ご自身とを、実際に同一化されたのでした。これはイエスが復活される前、「地の中に」三日三晩過ごされた時の、ご自分の死を予兆するものとして指摘されたのでした(マタイ12:39~41)。

 

ミカ書

   ミカ書は旧約聖書全体を通じても、イエス・キリストの誕生に関する最も重要な預言の一つを提供しています。ミカはキリストが誕生する700年も前に、キリストの生誕地であるベツレヘム、またキリストの永遠のご性質を指し示したのです(ミカ5:2)。

 

ナホム書

   ナホムの、ニネベへの差し迫った裁きに対する異様なまでの執着は、ヨナ書で始まった物語の続編の様相を呈します。紀元前760頃、神はヨナを、アッシリヤの人々が少なくとも一定期間は聞き従い受け入れた、悔い改めと希望のメッセージをアッシリヤ人に告げるためにニネベに遣わされました。100年後、ナホムの時代になって、アッシリヤ人はその暴力的な挙動や手段に戻ってしまい、北王国のイスラエルを征服し、南のユダ王国に対しその力を誇示したのでした(第2列王記17:1~6、18:13~19:37)。
 

ハバクク書

   ハバクク書は、ハバククと神との間の広範囲にわたる対話を含むことによって、聖書全体を通しても最も驚くべきやり取りの一部始終を私たちに提供しています(ハバクク1章~2章)。預言者ハバククは、世においての神の、一見すると「無為・無活動」に対する、自身の嘆きを軸にしてこの会話を開始したのでした。ハバククは、特に悪事を働く者たちに対する裁きと正義という面において、神がさらに何かの手立てを講じられるのを見たいと思っていました。ハバクク書はヨナ書と同じように、ヨナがしたように主から逃げようとするよりもむしろハバククはその不満を祈りに、やがては神への賛美に差し向けたのでしたが、不満をかかえてしまった一預言者の苦渋の姿を描いています。

 

ゼパニヤ書

   この書は、旧約の他のどの書よりも「主の日」のことを言及しており、それによりバビロンに対するユダ王国の陥落、および未来における全人類への来たるべき裁きや回復に関する描写を、より明確にしています。この場合、「主の日」は主としてユダ王国に対する神の差し迫った裁きの時を指し示しています。ゼパニヤは「主の日」において、自分の祖国の、自分の隣人の、やがては全地上に臨む破壊を垣間見たのです(ゼパニヤ1:2,4、ゼパニヤ2:10)。

 

ハガイ書

   何千年を経たあとでも、ハガイ書は一つの主な理由により、旧約の預言者たちの書の中でも非常に特異な存在として知られています。ユダの人々が耳を貸したからです! 神殿を再建するようにとのハガイのメッセージは情熱的で、単純明快、単刀直入でした(ハガイ1:8)。ハガイの指示がその通りに守られたかどうかは、誰も疑うことはできませんでした。結果は万民が見て、はっきりと認識できるものであったからです。神殿を再建するという実際の行動を通して、民は彼らの霊的生活にシフト、おのれへの献身から神への献身という、シフトを示し始めたのでした。

 

ゼカリヤ書

   ゼカリヤ書は小預言書の中でも最も明快で、数からすると最大数のメシアニック、メシヤに関する預言を含んでいます。この点においては、ゼカリヤ書をイザヤ書のミニチュア版のように考えることもできます。ゼカリヤは、キリストの最初の来臨(ゼカリヤ9:9)、またキリストの再臨(ゼカリヤ9:10~10:12)双方において、キリストを描いています。イエスはゼカリヤによれば、救い主として、審判者として、そして究極的に、エルサレムからご自分の民を治める義なる王として来られます(ゼカリヤ14:8~9)。

 

マラキ書

   旧約最後の書としてのマラキ書の特異な立ち位置は、イスラエルの人々、すなわち神によって特別に選ばれた国民、アブラハムの子孫であり、ユダヤ人の豊かな伝統を受け継ぐ人たちの心の中を垣間見るようにさせます。彼らの歴史はエジプトからの脱出や、ダビデ王への神の真実といった「栄光」の数々を語り継いできました。しかし、彼らは荒野でさまようといった裁きや、約束の地から追放される捕囚の恥も経験したのでした。

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